私は非常に貧しい家に生まれました。
実家は地方山間部の過疎地とも呼ばれるエリアで、ほとんど近隣の家屋もないようなぽつんと村にあるような貧しい家庭に生まれたのです。
両親は柿の木を育てそれを秋には収穫し、成果栄を立てていたのです。
閑散期にはほかの農家の手伝いで父親は出稼ぎに行き生き、一年の半年は母子家庭で育てられたんです。
父が出稼ぎに行ったとしても実家の貧しさは一向に解消されませんでした。
なぜなら貧しいにもかかわらず、両親は10人も子供を産んでおり、まさに貧乏子だくさん状態だったのです。
徒歩で40分の小学校に毎日通っていましたが、明らかに同級生よりも貧しい身なりゆえに、クラスの生徒からは頻繁にいじめられ小学校では全く良い思い出はありません。
常にお兄のお古ばかりを着せられて、ボロボロでくたびれた身なりに子供心に恥ずかしいという感情を持ったのを鮮明に覚えています。
中学校に上がると、私は親に反抗し不良グループの仲間に入り非行に走ってしまいました。
同級生をカツアゲしたり、友達のバイクに乗って町まで出て酒やたばこに溺れる日々で、決して貧しい実家に帰ろうともしなかったんです。
そんなある日、母が実家の納屋で首つり自殺をして発見されたのです。
この時ばかりは自分の生き方を後悔し、悔やんでも悔やんでもくやみきれませんでした。
父親も出稼ぎでほとんど家にはおらず、母は非常に寂しい思いをしていたのだと思います。
そのうえ私まで非行に走り、母親に心配をかけてしまいなんということをしてしまったのかと自分も死んでなくなりたいと思ったのは言うまでもありません。
さらに家計は火の車で、母は自分の持っている呉服をすべて質屋に出して生活費を工面していたようなのです。
この事実を知り悲しみに暮れ奈落の底に落ちましたが、何とか天国の母に恩返ししたいと考えるようになって、中学を出て一人東京に上京したのです。
そして手に職をつけようと大工の見習いを志し、ある等量の弟子になって下親方の家で下宿生活を始めました。